寺院建築施工歴

文化8年(1811) 板垣直右衛門矢上村(現日吉町)に生まれ成長して川崎平間村の銚子塚家に宮大工として弟子入修行する。後に、矢上村の天野家に養子として同家を継ぎ、宮大工職を創業し工匠初代天野直右衛門を名乗る 1811 間宮林蔵が樺太を探検
1807 伊能忠敬「大日本沿海與地全図」完成
1825 文政の異国船打払い令
1833 天保の大飢饉
天保5年(1834) 氏神熊野神社社殿を建築(24才)する。 天保5年をもって創業年と定める 1834 近藤勇 誕生
1837 大塩平八郎の乱 、  徳川慶喜 誕生
1838 大隈重信誕生
1839 蛮社の獄
1841 天保の改革
天保13年(1842) 矢向日枝神社建築(32才) 1854 日米和親条約を結ぶ
安政6年(1859) 天野家を再普請し、慶応元年菩提寺木月妙海寺の番神堂及び山門を建築 (55才)する 1859 安政の大獄
1860 桜田門外の変
1867 大政奉還
1868 戊辰戦争

明治9年(1876) 直右衛門(66才)隠居、長男松五郎(39才)二代目を継承、同24年、(54才)妙海寺本堂建築する。その後、多数の社寺建築を手掛ける 1877 西南戦争
1889 大日本帝国憲法が制定
明治36年(1903) 松五郎(66才)隠居、二男鈴太郎(27才)三代目を継承 1904 日露戦争が起こる

昭和6年(1931) 鈴太郎の長男魁一(26才)四代目を継承、その後も個人営業を続け、多数の社寺建築を手掛ける 1931 満州事変が起こる
昭和32年(1957) 資本金100万円にて法人に改組「有限会社天野工務店]を設立し、代表取締役に天野魁一が就任する 1951 日米安全保障条約調印
昭和35年(1958) 代表取締役に魁一の長男天野弘之(28才)が就任し、戦禍により消失した妙海寺本堂を再建する。
1960 新日米安全保障条約調印
昭和39年(1964) 有限会社を改組し「株式会社天野工務店]を設立する 1968 小笠原諸島が日本に返還
昭和54年(1979) 魁一の二男天野伊佐雄(43才)が代表取締役に就任、五代目を継承し資本金を2000万円に増資、 天野弘之が取締役会長、魁一の三男天野澄雄が専務取締役に就任する 1978 日中平和友好条約調印
 
昭和60年(1985) 天野澄雄(45才)が代表取締役となり、多数の社寺建築を手掛ける
 
昭和62年(1987) 香株寺五重塔を建築する
 
平成14年(2002) 弘之の二男天野哲也(36才)が代表取締役に就任、六代目を継承  
平成18年(2006) 妙海寺本堂を宗祖開宗750年報恩事業として改修する  
平成21年(2009) 妙楽寺薬師堂を建築する  
平成28年(2016) 矢向日枝神社整備計画工事(拝殿建替、本殿改修)を施工する  
平成28年(2016) 妙海寺庫裡新築工事を施工する  
     
 
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